色物にすらなれない僕は何者だ。
今回話すイロモノは
本来の意味とは違った使い方をする。ではどいった意味を指すか?
その業界で主流でない、人気になる見込みがないものとして扱われるすなわちマイナーってことだ。
僕は色物にすらなれない。
つまり業界内で見向きもされない存在、周りを見渡せば華やかなタレントがたくさんいて
そんなテレビの向こう側にいた人が時代が進むにつれて僕の手のひらまで近づいてきた。
光が近づくにつれて影や闇は強くなる。
しかしそんな闇の存在にすら僕はなれないのだ。いつまで夢を追えばいいのだろうか。
夢に賞味期限を付けてくれなきゃ人生すら捨ててしまいそうだ。
何をすれば僕は自分の人生に納得して、人は僕を色のある存在として認めてくれるのだろうか。
そんな考えからふと「左利きのエレン」を読んでみた。
僕がハッと気づかされたのは自分の価値は周りの人によって形成されているということだ。
まわりが120の集団に100の僕がいても劣る。
しかし80の集団に100の僕がいると輝ける。だけどこんな自分をしたの集団と比べて優越感に浸れるほど人間は賢くない。
なんせ自分が一番納得できない。どこに行けば自分が輝けるのかよりもどうすれば自分が輝きたい集団の中で1番輝けるのかを考える必要がある気がする。
そこで思った。
才能ってなんだろうか?
「金持ちの家に生まれたかった」「イケメンに生まれたかった」確かにそうすれば楽に生きられたのかもしれない。
しかし誰のせいでもなければ、人類みんなが自分の持っているカードで戦っている。
才能と呼ばれるものもほとんどは、
生まれた時ではなく後から身につくものだ。
ただ人には集中力に違いがある。
これをどう生かすかで自分の人生を左右するのではないかと思っている。
集中力には3つの基準が
- 早さ
- 深さ
- 長さ
どれだけの集中力をもってものごとに取り組めるのかで人生は多少なりとも楽しくなる
そう思っている。