しろとらのお暇

大学生活を孤独に楽しむ

興味のない本ほど邪魔なものはない

まぁ、本に限らずなんですけど

世の中には色んな文章がありますよね。

 

ぼくは卒業のために

大学の講義で早く卒業単位を埋めたいがために興味のない科目を取ってしまった。

 

初めての失態

文学入門、ざっくりいうと課題の文学に対してレポートを書くっていう成績評価がある。

本当に興味のない文章を読むのがこれほどまでに苦痛だとは。

 

お陰で明日提出のレポートがまだ終わらない。

読み始めてすらない。

本が好きで小説が好きでも、1行目すら読む気が起こらなかった。

 

最初の講義で文学の好きなところをレポートに書いた。

文学とは…

読者が好きな解釈で読めるから好きなのだと、そしてそれこそが文学の良さだと

 

なのに、どうして

決まった形式で読む期限を決められてさして興味もない文章を読まされる。

これこそ文学を否定するものではないかと思えた。

 

好きな文章を好きな風に読んで好きな風に書く

そんなことが好きだからいまもブログを書いているのだろう。

 

このブログを読んでくれる人がいるってことは、

少なくとも僕のブログを邪魔じゃないと思っている人がいる。

 

そんなことを思いながらいまも書いている。

 

ブログの良さって、好きな文章を書くことの良さってなんだろう?

そんなふうに考えたとき

ふと思うのは誰にも邪魔されない自分だけの世界の創造だと思う。

 

文章は自分が体感していないことすら

想像で補える。

吾輩は猫であるとあれば

次の瞬間にはわたしは猫なのである。

 

意識の高い発信は見てても聞いても書いても話しても疲れるのだ。

 

実際画面の向こうにいるひとは

どんなことを思いながら発信しているんだろうか?

このアカウントはこういうキャラだから発言はこうあるべきだ。

 

そんなことを考えてつぶやいたりしているのだろう。

じぶんの手のひらに収まるほどの人間はどこか人間に思えない。

 

じぶんがどう思うのかなんて自分しか知りえない。

だから僕は好き勝手に思ったことを文章にする。

これこそが「わたし」だと言わんばかりの熱量をぶつけてひたすら書いてやる。